スーパークリニック(小石川インターナショナルクリニック)

小石川インターナショナルクリニックがメディカルツーリズムを本格始動

24.05.24

「国境を越えた医療の専門家」

小石川インターナショナルクリニック 川合明彦院長(MD, PhD.)

世界中の患者を世界の病院に受診手配

日本を訪れる外国人の診察実績も豊富

東京の文京区に位置する「小石川インターナショナルクリニック」。ここでは、地域の患者さんの診察を行っているだけではなく、海外で病気やケガに見舞われた患者さんに世界中の病院のデータベースから適切な近隣病院を紹介し、現地医師との連携により最適な治療を受けられるよう手配しています。重篤なケースでは川合院長自ら医療用チャーター機に乗り込み、患者さんを現地から日本の病院まで無事帰国させるための国際医療搬送に出向くこともあります。また、インターナショナルクリニックとして国内在住の外国人患者の診察や外国人VIPの往診も提供しています。

そんな国境を越えた医療提供のスペシャリストである川合院長が、このたび小石川インターナショナルクリニックにてメディカルツーリズムを本格始動させるとのことで、お話をうかがってきました。

米国のピッツバーグ大学で心臓移植に携わった経験

EAJ:川合先生は、米国で心臓移植を何百例も手掛けたり、都内総合病院で国際部を開設したり、医療搬送のフライングドクターとして海外を飛び回ったりと、とてもユニークなキャリアをお持ちですが、まずは米国での経験からお聞きしたいと思います。 なぜアメリカで心臓移植に携わろうと思ったのですか?

留学先で心臓移植による回復に感銘を受ける

川合院長:僕の専門の1つである「心臓血管外科」には、「心臓弁膜症の弁置換術」、「大動脈瘤の置換術」、「心筋梗塞のバイパス術」という3つの柱があります。大学やその後の病院勤務でこれらの手術の実務経験を積んでいくなかで、拡張型心筋症などの重症心不全に対しての主だった治療法は心臓移植しかないという事実に行き当たりました。しかし当時の日本では心臓移植手術は不可能だったため、その代替治療となる人工心臓について興味を持ち、米国のペンシルベニア州にあるピッツバーグ大学医療センター(以下表記:UPMC)に勉強に行くことになりました。実際に渡米してみると、UPMCは「西のスタンフォード、東のピッツバーグ」の異名を取るほど心臓移植の世界では有名な大学病院だったため、そこで僕は多くの心臓移植を受けた患者さんの凄まじい回復力を目の当たりにしました。たとえば、重症心不全で数年間寝たきりだった人が心臓移植を受けて、術後2~3日で歩きだし、1ヵ月後には普通にスーツを着て仕事をしていたりするわけです。それを目にした驚きといったら言葉になりません。「なんて凄い手術なんだ!」 と驚愕すると同時に、自分も外科医としてこの手術に関わりたいと強く思うようになっていきました。

EAJ:そこで人工心臓の研究から心臓移植の臨床へと方向転換したわけですね?

川合院長:そうです。2年目からは米国の医師免許を取得し、 臨床に関わるようになり、5年の米国滞在中の5年間を心臓移植・肺移植の手術に費やすことになりました。当時でも脳死移植が年間5,000例もあり、UPMC では年間で心臓移植を50例、肺移植を70例ほど実施していました。僕は実施される心臓・肺移植手術にほぼ全て関わっていたんですよ。 僕以外はアメリカ人のチームでした。ただ、様々な国の人が見学や勉強に来ていたこともあって、多国籍の医師との交流もたくさんありました。今思えば、こういった交流の経験が現在の業務にもすごく役に立っていると思っています。当時の僕のボスはバートリー・P・グリフィス氏だったのですが、最近、遺伝子工学で操作された豚の心臓の人への移植手術が成功したと話題になっていたけれど、それを実施したのがこの人です。

EAJ:心臓移植の仕事はすごくハードなイメージがあります。

川合院長:心臓は摘出してから4時間以上経過すると移植後の心機能が低下してしまうので、タイミングよく摘出して1分1秒でも早く移植して心臓の鼓動を再開させる必要があります。僕はドナーチームもレシピエントチームも経験しましたが、ドナーチームでは、24時間スタンバイで、週に2~3回の頻度で携帯電話に「15分後に病院に集合」といった連絡が来ます。レシピエントチームでは、ドナーの心臓摘出後に患者さんの心臓を摘出し、ドナーの心臓の移植が完了するまでに8時間ほどかかります。たいてい夜10時頃に臓器が運ばれてきて、そこから朝まで移植手術を施すといった感じです。非常に体力を使うので、米国でも40代になると多くの医師が移植手術の現役を退いていましたね。

東京女子医科大学病院で心臓移植チームを組成

EAJ:帰国後はどういうことをされていたのですか?

川合院長:1997年に日本で「臓器移植法」が公布され、移植手術が可能となり、僕は、東京で心臓移植手術を施行することを唯一許可された東京女子医大で心臓移植チームを作ることになりました。そのなかで日本人の患者さんが渡米して移植を受ける渡航移植にも関わることになりました。その時に米国での医療チャーター機・救急車の手配を担当したのがEAJで、国際医療搬送という業務を知りました。海外に滞在していた経験から患者さんの不安もよく理解できたので、いつかぜひ関わりたいと思うようになりました。

海外での急病の対応から医療搬送まで

EAJ:実際に医療搬送をやり始めたのはいつですか?

川合院長:東京女子医科大学病院の次に勤めた高輪病院の前身は東京船員保険病院だったので、洋上救急、つまり船からの緊急呼びかけに無線で対応し、自衛隊と連携して病院まで医療搬送を行うという業務があり、それに関わり始めた時期です。またそこで外国人の患者さんに対応する国際部も立ち上げました。

EAJ:現在関わっておられる海外医療案件の対応や医療搬送はどういった業務なのでしょうか。

川合院長:医療アシスタンスの業務として、海外滞在中に重症となった患者さんの医療情報を現地医療機関から入手して、その情報に対して「医療情報に記載の診断や治療が適切かどうか」や「治るまでにどのくらいの期間を要するのか」など顧問医としての見解を発出します。また企業が海外でのプロジェクトに絡み設営しているサイトクリニックの運営の助言を行ったりします。業務を実施するうえでは、その土地固有の罹患しやすい疾病や感染病の情報などの知識も必要となります。医療搬送は、コロナ前は年間100例ほどありました。機内の限られた設備では「何かあった時」に対応するために、事前に患者さんの状況把握とそれに対応する医療器材の準備を入念に行い、海外から国内医療機関への航空医療搬送に同行する仕事です。医療搬送中は酸素、点滴、電源が途切れることがあってはならないため、「シームレス」に医療搬 送を実施するための計画を立てることが重要となります。

クリニックの立ち上げとメディカルツーリズムの稼働開始

EAJ:そういった業務の傍ら、2017年に小石川インターナショナルクリニックを立ち上げられたわけですね。

川合院長:はい。これまでの国境を越えた患者さんの医療の提供をテーマに、実際に患者さんを診察する拠点として開院しました。これまでは、訪日外国人の方が言葉の壁によって、必要な医療にたどり着けないことがないようサポートしてきましたが、今後は、医療を目的に来日する患者さんや、日本旅行のついでに持病や健康上の悩みを相談したいというご要望にも広く対応していきたいと思っています。オンラインでの診療から処方を行ったり、がんや心筋梗塞などのリスクをはかる健康評価を実施して、オンラインで結果に応じたアドバイスを提供したり、未病段階でのヘルスケア介入やアンチエイジング医療も提供していきます(厚生労働省が定めるオンライン診療を行う医師向けの研修を受講済)。海外の医療者との広いネットワークも持っていますので、そういったリソースやこれまで培ったノウハウを生かして、患者さんの背景や母国の事情も踏まえたきめ細かいサービスが提供できれば、と思っています。